澱みも、それなりに意味はある。
私は、炭鉱長屋に、生まれました。
母は、その時、高熱にうなされ生死を彷徨っていました。
その後、私の出生届けは、提出され、役所裁量により、めでたく、出生日をいただきました。
戦争による功罪なのか、貧しさなのか、人々の心は荒んでいました。
古き善きものをこわし、若き自己主張のみが夢を持ち闊歩していました。
貧富の差は激しく、お坊っちゃんたちは、歌い、踊り、ギターを弾き、バイクや車に乗り、海で遊び、平和を享受していました。
でも、僕の友達は、飯場から学校へ通っていました。そして、半年後には、仕事を追いかけて転校していくといった生活でした。
そのころの僕は、多動症だったのかもしれない。
脳の中で溢れる刺激のままに行動していたのではないだろうか。
その結果、毎日、毎日が辛い日々であった。
若き母親に、そのことの知識はなく、また、余裕もない。
そして、再生産がされていくのである。
熟成したる過去は、流すべし。