今日も好日

わたしの日常

メモリアル


墓について
 母は、父が入っている、あの墓には、入りたくないという。実家では受け入れてもらえないから、生まれ故郷の近くに行きたいという。
 困ったことを言うなーと思っていたが、ごく最近になってのことだが、妻の父は、3回忌まで棚に置いてくれて、その後は合同葬となるお寺に入ったとのこと。
それなら、母も、そのようにしてやろうとおもった。
骨に魂はないのである。ましてや、入魂など、してはいけないのである。
自分のときもそれがよいと思った。子供たちも気が楽になるだろう。


わたしは、其処にはいません!
 困ったときだけ、いつでもあなたの傍にいます。
 しがらみはありません。約束事もありません。
 あなたの自由な人生だけを望んでいます。


「生を継ぎ 幸多かれと 祖は望む」


○○家について
 多くの墓石に、○×家と刻んであり、墓誌も刻まれていく。○×家とはどこまでの人たちのことであろうか。本家とか家督を継いだもののことか? 
嫁に行った人は入れないのか。出戻りならよいのか。息子が二人いる場合、どちらかが後を継ぎ、もう一方は、他へ造るのであろうか。そのことを先祖は、望んでいたであろうか。
 そもそも、多くの墓地や墓石では、所有権は無いのである。当然登記も無いのである。
有るのは、その状況への思いやりから発する、暗黙の了解である。


「世は無常 新玉なる舎 進化望みて 新創す」


過ぎ去りし日の記憶

三種の神器を買い、足踏みミシンに、編み機も買いました。
車と、ステレオも買いましたよね。
そのころは、夢と希望に満ちていましたよね。


あの家は、もう、壊されて駐車場になっていました。
お隣は、シャボン屋さんになっていましたよ。
随分と月日が経ちましたよね。
つぎは、どこに住みたい?
やはり、生まれ故郷かな?

自然と共に

先祖は古来より、過酷な自然と共に、生きてきたのであろう。
逆らわない、受け流す、そして、隅っこに、己の居場所を得る。